タイトル_なんようの匠たち
file:9 【龍上海 二代目】佐藤 春美さん
file:9 【龍上海 二代目】佐藤 春美さん
南陽を代表する味といえば、多くの方が思い浮かべるだろう「赤湯からみそラーメン」。
今回は50年以上変わらずその味を守り続けてきた「赤湯ラーメン龍上海」の二代目佐藤春美さんをご紹介します。

ストレートに“あまい”愛情を” ──どのようにして生まれたラーメンなんですか?

「先代の父が昭和33年に食堂を始めて、メニューにあった中華そばのスープの残りを使って味噌汁を作っていました。
 当時子供だった私が『これでラーメンを作ったら美味いんじゃないか』と試しに作ったのがきっかけです。その後改良を加えて辛みそを添えるなどして昭和35年からお出ししています」

 昭和31年の経済白書で「もはや戦後ではない」と書かれた当時。それでも食料を満足に手に入れることは難しかったという。
 佐藤さんの父、先代の佐藤一美氏は貧困に喘ぐ現状を変えるため食堂を始めた。当時も人気のあった中華そばだが、やはりスープが残ってしまう。無駄にしてはいけないと、様々な具材と味噌で作った一風変わった味噌汁が食卓に並ぶ日々に、少年だった佐藤さんは閃いた。
 常識に捕らわれない発想で彼は「赤湯からみそラーメン」の原点を作ったのだ。

一度食べると癖になる。何とも味わい深い「南陽からみそラーメン」始まりは少年だった佐藤さんの豊かな発想だった。
大変な時代だったと当時を語る佐藤さん。

 

何もないから何でもあるへ ──からみそラーメンを始められてから味は変わっていないのですか?

「始めてから52年間全く変わっていません。
 当時は流通が発達していなかったのもあり、食材全てがこの地域のものでした。今は地元産は3割程度ですが、使っている食材は当初と変わりませんし、また調理法も変わっていません」

 当時と同じ味を提供している、と語ってくれた佐藤さん。その調理法も昔ながらの手法だ。
 現在ではあまり扱われていない重油バーナーを使い、大きな鍋で注文を受けた分の麺を一度に茹で上げる。注文数が多くても均一の茹で上がりにするためには熟練の技術が必要で、これをできる人は現在では多くはないという。
 三代目に受け継がれた技が今日も沢山の人々の食欲を満たしている。
からみその味の決め手といえる南蛮。当時から同じ「激辛南蛮」を使用している。
視覚と手に伝わる感覚で、茹で上がりの絶妙なタイミングを測る。

 

南陽の未来を創る匠たち ──なぜ店名を赤湯ラーメン 龍上海、ラーメンを赤湯からみそラーメンと名称を変えられたのですか?

「当時は『からみそ中華』と呼んでいたんですが、同時期に札幌ラーメンが急速に広まって、龍上海でも『札幌ラーメン下さい』と言うお客さんがいたんですよ。
 同じ味噌ラーメンでもやはり独自で作ったという自負があります。ですのでこの地域の名を貰って店名を『赤湯ラーメン龍上海』、からみそ中華を『赤湯からみそラーメン』としました」

 今では珍しくはないご当地ラーメンの先駆けと言っていいだろう「赤湯からみそラーメン」。
 赤湯の名を頂いた以上、けして赤湯の皆に迷惑はかけられないとポツリと言う佐藤さん。さりげないその一言に、並々ならない郷土愛を感じた。
 南陽市というラーメン激戦区の中、龍上海の辛みそラーメンが山形県のラーメン文化を大きく変化させ、全国に知らしめたのは、そんな佐藤さんの決意もあったのだろう。
 ラーメンの匠は南陽の匠でもあった。
赤湯の、南陽の顔と言ってもいい、「赤湯ラーメン 龍上海」の名。
開店前から行列ができ、営業中の店内は常に込み合っている。

 

 

 

佐藤 春美(さとう はるみ)

南陽市赤湯出身
赤湯ラーメン 龍上海 二代目

県内に直営店・姉妹店合わせて7店舗を展開。
新横浜ラーメン博物館にも出店するなど
全国にファンを増やしている。

有限会社 赤湯ラーメン 龍上海 公式サイト

■2012年3月取材

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