タイトル_なんようの匠たち
file:7 【染織作家】川合ひさ子さん
file:7 【染織作家】川合ひさ子さん
幻の織物とも言われる「青苧織(あおそおり)」。青苧とは強靭な繊維が取れるイラクサ科の植物のことで、古くは戦国時代、上杉家の監督の下で栽培され、織物に加工されると高級品として持てはやされました。しかし上杉家が米沢に転封後、青苧の凶作に伴う養蚕への切り替えでその興隆に影が差し、時代の変化と共に忘れ去られていきました。今回はその「青苧織」に新しい息吹を吹き込んだ染織作家、川合ひさ子さんをご紹介します。
ストレートに“あまい”愛情を” ──「青苧織」を始められたのはどんなきっかけなんでしょう?

「ある日地元の方に『昔は青苧っていうのがあってよ……』と聞いて脳裏に一面の緑のイメージが広がったんです。今はもうないとも聞いて、余計に気になってしまって。どうにか手にできないかと、わずかに残された手がかりを求めて各地を廻りました」
 嫁いで居を構えるまで全く南陽に縁がなかったという川合さん。
 たった一つの「青苧」という聞きなれない言葉に強く惹かれ、何かに突き動かされるように青苧織にのめり込んでいった。
 染織を生業としていた川合さんを「青苧」が呼んだようですねと言えば、「ああ、そうかもしれませんね」としみじみと頷く彼女の横顔に、南陽に来るべくして来た人なのだと感じた。
青苧織の反物
青苧織の反物。
かつては高級品として重用された。
青々と茂った青苧畑。

 

何もないから何でもあるへ ──青苧織で難しいと感じるのはどんなところですか?

「全部が『忍』の一文字、と言いたいところですが、青苧の扱いに特に気を使いますね。強靭な繊維ですが乾燥に弱いんです。冬にやかんをかけたストーブを置いて織るのが一番なんですよ」
 全てが手作業のため、一反織りあげるのに1年かかるという青苧織。一時は機械化できないかと試行錯誤した川合さんだったが、結局青苧織には合わなかった。
 そこまで手間のかかる青苧織を30年以上続けてきたのはなぜなのか。
 その透け感・清涼感、強靭さ……それに魅せられる人は少なくない。
 川合さん自身も青苧織に魅せられた一人だからこそ、30年という長きに渡って青苧を育て、糸を紡ぎ、織ってきたのだ。
 「青苧織って本当に大変なのよ」そう言いながらも川合さんの笑顔は柔らかだった。
はぎ・そぎの終わった青苧。ここまでくるのに膨大な工程を経ている。
機に掛けられた青苧の糸。暖かい時期の機織りは霧吹きが必需品だと言う。

 

南陽の未来を創る匠たち ──これからも南陽で「青苧織」を?

「ええ、染織はイメージよりずっと気力・体力を使うものなので、いつまで続けられるかはわかりません。それでも創作し続けることが私にとっての日常ですから。
 それに、施設長をしている、地域活動支援センター『花工房』のメンバー達がチラシ織で山形エクセレントデザイン奨励賞をいただくほど成長しているんです。
 難易度が高く、教えたことのない青苧織ですが、彼女たちの誰かが『やりたい』と言ってくれるならぜひ教えたいと思っています」

 朗らかな笑顔で、彼女たちを手放しで褒める川合さん。人に教えるためには自身も創作し続けなければならないと言う。
 熱のこもった言葉に、川合さんとその教え子たちが快活に言葉を交わしながら機を織る姿が、鮮やかに脳裏に浮かんだ。
 この南陽の匠は爽やかな青苧織のように、しなやかで強い絆という名の素晴らしい織物をも織っているのだ。
従来の青苧織とは違い、川合さんは高機で織ってゆく。この織機は明治期に作られたもの。
「一度糸を掛けると出来上がるまで他のものが織れないの。だから周りは織機だらけなのよ」と快活に笑う、根っからの染織作家の川合さん。

 

 

 

川合 ひさ子(かわい ひさこ)

染織作家
南陽市萩生田在住

青苧工房主宰
南陽市古代織の伝統を守る会副会長
地域活動支援センター花工房施設長
日展入選・県美展県展賞・同奨励賞・河北展県知事賞・日本新工芸展会員佳作賞など多数受賞

■2012年1月取材

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