タイトル_郷土の偉人
第13回 芳武 茂介
芳武茂介

 「クラフト」には、手仕事による工芸という意味と、強靭なという意味があります。
 芳武茂介は、生活用具は文化財であると同時に経済財でもあると言っています。良いデザインの生活用具が、適正価格で市場に並び、消費者の需要に応ずるなら、デザイナーの仕事が成り立ち、消費者は快適に暮らせると主張しました。

 茂介は「用の美」とも言い、良質と量産の両立を目指しクラフトデザイン運動をすすめました。

 茂介は「私はデザインの立場に立つ工芸家」だと言っています。

 茂介は明治42年(1909年)、13人兄妹の長男として宮内に生まれました。宮内小学校、長井中学校を出て、昭和5年(1930年)東京美術学校(現東京芸術大学)工芸金工科に入学、同10年に卒業しますが、卒業製作の「鍛鉄花器」は学校蔵となりました。茂介は油絵も学び展覧会に2回入選しています。

 同年商工省工芸指導所に入所、日本従来の工芸的手工業に最新の科学と技術を取り入れ、その製品を海外市場に輸出できるようにするという仕事に努力しました。茂介はそのかたわら製作にも励み、各種展覧会に出品・入選、昭和16年には第4回文部省美術展覧会で特選に輝いています。
 昭和23年には郷里宮内町で個展を開き、同30年には宮内双松公園の東置賜郡招魂碑再建のデザインをしています。

 昭和31年、デザインによる工芸の再建を目指して「日本デザイナークラフトマン協会」を創設、同33年には「日本ニュークラフト展」を創設、銀座松屋を会場としてクラフトデザイン運動を始めました。

 その後、昭和36年武蔵野美術学校教授、同41年武蔵野美術大学教授、42年日本デザイン学会評議員に任じ、45年大阪万博日本館に「陶灯」を出品、51年芸術選奨、54年デザインで産業に寄与したとして三浦記念賞、55年勲四等旭日小綬章を授賞、同年武蔵野美術大学で自選の鋳鉄器40点、ガラス器20点を展示する「芳武茂介教授作品展」を開催しました。
 平成5年南陽市名誉市民となりましたが、同年8月83歳で亡くなりました。翌6年、文化懇話会により宮内公民館前に顕彰碑が建てられました。


文:南陽市史編集資料執筆担当 須崎寛二


芳武 茂介 (よしたけ もすけ)

出身地:南陽市宮内
出没年:1909年〜1994(享年83歳)

昭和36年武蔵野美術学校教授
同41年武蔵野美術大学教授
日本デザイン学会評議員就任。
平成5年南陽市名誉市民



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