タイトル_郷土の偉人
第8回 結城 よしを

 結城よしをは、大正9年(1920年)歌人結城健三・えつの長男として宮内町に生まれ、芳夫と名付けられました。父の勤めの都合で庄内、山形市と移り、昭和9年小学校高等科を卒業すると八文字屋書店の店員になりましたが、その頃から童謡・童話を新聞・雑誌に盛んに投稿し、毎号推薦(すいせん)欄に作品が掲載されたそうです。
 昭和13年、17歳で仲間と童謡誌「おてだま」を創刊しましたが、その頃のよしをは毎日2、3編の童謡を作り、「月に五、六〇編も作るのが普通だった」と父健三が語っています。
 よしをは、なぜ童謡を作るのかという問いに、「私は子どもが好き、絵本が好きだ。絵本を見ていると夢の世界にいるようなほほえましい感情があふれて、すぐ童謡を作ってみたくなる」、「楽しいから、うれしいから、思い出があるから童謡を作るのだ」と話しています。天性の童謡詩人だったのでしょう。
 昭和14年「ないしょ話」がレコード化されました。これは日本童謡界の名作で、日本人みんなに親しまれ、今なお歌われています。よしをの作品はほかにも30数点がレコード化されています。
 昭和16年、軍隊に召集されましたが、厳しい軍務のかたわら、ノートの切れはしや通信紙等に鉛筆で童謡を書いては父のもとに送っていました。遺稿は5000編ほどにもなります。
 昭和19年、よしをは南方輸送船団護衛の任務についてニューギニアに転戦。パラチフスに罹患(りかん)し、9月13日、24歳の若さで小倉陸軍病院で亡くなりました。戦争は若き詩人の将来も奪ったのです。
 昭和22年、よしをの遺志を生かして、父健三により童謡集「野風呂」が発行され、同43年には軍隊時代の手記の一部が「月と兵隊と童謡―若き詩人の遺稿」として出版されました。
 平成2年、熊野大社境内の父健三の歌碑の側に「ないしょ話」の碑が建てられて親子文学碑となりました。市内では他に、宮内駅前に「ないしょ話」と病床のよしをを悲しんだ父健三・母えつの短歌を刻んだ碑があります。赤湯駅西口通りには、よしをと弟ふじをの童謡碑6基があり、道行く人を童謡の世界に誘っています。


文:南陽市史編集資料執筆担当 須崎寛二


結城 よしを(ゆうき よしを)

出身地:南陽市宮内
生没年:1920-1944(享年24歳)

[写真] 昭和16年入隊時
(提供=花柳衛優さん)



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