タイトル_郷土の偉人
第5回 須藤 克三

 須藤克三は明治39年(1906年)に宮内に生まれ、豊かな自然と地域の文化遺産に囲まれて健やかに育ちました。
 大正12年、山形師範学校に入学するとすぐ文芸部委員になり、校友会雑誌「真琴」で短歌や文章を発表しています。
 師範学校を卒業した克三は宮内小学校の教員となり、職務の傍ら、昭和2年に仲間と文芸雑誌「陽樹」を発行。多忙な日々を送りながらも、創作意欲が尽きることはありませんでした。
 やがて上京すると日本大学高等師範学校部に入学し、父の名をとった歌集「流蔭」を出版します。
 卒業後、小学校教員になりましたが間もなく退職。国民教育図書に続き小学館へ入社し、編集の仕事等をしましたが、昭和20年、戦災により帰郷。山形新聞社に入社しました。青年団活動や母親運動など広範で地域に根ざした文化運動を展開し、児童文化運動の指導にも努めました。
 昭和26年、「山形児童文化研究会」を結成し、山形新聞紙上で一般から童話を募集しました。同29年「山形童話の会」を結成し「もんぺの子」を発行。その後も「山形子どもの本研究会」を結成するなど児童文化運動を推進し、自らも児童書「出かせぎ村のゾロ」、「友情とつげき隊」、民話絵本「わらしことねむの花」、熊野大社のまつりを題材にした「こわがり太平」など多数の作品を発表しました。
 帰郷以後、克三の熱心な文化活動・教育活動が認められ、斎藤茂吉文化賞、山形県教育功労賞、久留島武彦文化賞、河北文化賞などを次々に受賞しています。
 昭和51年、克三の古稀(こき)(70歳)の祝いとして、ふるさと宮内の双松公園に文学碑が建てられました。碑には「ふるさとの/山は光る/子どもらは/太陽を/呼ぶ」と太く力強く刻まれ、子どもたちへの想いが表現されています。
 晩年まで精力的に働き続けた克三ですが、昭和57年10月に惜しまれながら逝去。享年75歳でした。
 昭和62年、南陽市では克三の功績をたたえ、市制施行20周年記念事業として「須藤克三賞」を創設。小中学校の児童生徒から読書感想文・創作童話・作文・詩の4部門で募集を行い、優秀作品を表彰しています。


文:南陽市史編集資料執筆担当 須崎寛二


須藤 克三(すどう かつぞう)

出身地:南陽市宮内
生没年:1906-1982(享年76歳)
経歴:山形新聞社論説委員
山形県芸術文化会議会長
山形県県民芸術祭運営委員長



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