タイトル_郷土の偉人
第3回 吉田 善之助

 小岩沢地区に「吉田橋」という石橋があります。橋の下がアーチ型のメガネ橋で、明治13年、今から120年前に造られました。おそらく南陽市で一番古い橋で、美しく珍しいメガネ橋であることから市の指定文化財になっています。
 この橋を造った石工の棟梁が吉田善之助です。橋の出来栄えが見事であったので、県の役人が、吉田善之助の名をとって「吉田橋」と名付けました。
 善之助は、天保9年(1838年)宮内に生まれました。父の善兵衛も腕のいい石工だったようです。父に仕込まれて善之助はめきめきと腕を上げ、若い時から多くの名作を残しています。関根・金龍寺の山門と石塀。同じ関根の「鈴木忠内碑」。池黒地区の矢ノ目・羽黒神社には小ぶりできれいな石灯籠があります。赤湯八幡宮の石灯籠一対は模様石で造った見事なものです。高畠町大笹生慈眼院には大きな延命地蔵尊などがあります。どの作品にも「石工・吉田善之助」と自信をもって彫ってあります。
 明治10年頃からは、県の道路造りに参加して多くの仕事をしました。小岩沢のメガネ橋もその一つですが、飯豊町箱ノ口のメガネ橋や小国町の片洞門、米沢市の旧栗子トンネル、庄内の加茂トンネル等も造っています。
 明治36年には、赤湯八幡宮の石の大鳥居を建師市川良次と協力して造りました。これは継目のない石鳥居としては日本一の大きさです。この作品も市の指定文化財です。
 善之助は、体は小柄でしたが力が強く、50貫目(約187.5s)の石を背負って平気だったと言われています。仕事は他の人の5人前をこなし、「置賜石工三人衆」の一人でした。子どもは5人いて全員が石工になったそうです。
 名石工とうたわれた善之助は、明治42年、72歳で惜しまれながらこの世を去りました。


文:南陽市史編集資料執筆担当 須崎寛二


吉田 善之助 (よしだ ぜんのすけ)

生没年:1838-1909(享年72歳)
出身地:南陽市宮内

[写真]小岩沢地区 吉田橋



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