タイトル_郷土の偉人
第1回 結城 豊太郎

 結城豊太郎は、明治10年赤湯の旧家結城弥右衛門の長男として生まれました。
 幼少からたいへんな秀才で、赤湯小学校卒業の時は山形県知事賞を受賞しました。しかし青白い秀才ではなく、わんぱくぶりもかなりだったと伝えられています。
 豊太郎は、山形中学校(今の山形東高)から仙台二高、東京大学と進み、明治37年日本銀行に就職しました。その後京都・名古屋・大阪支店長をつとめましたが、大正10年安田銀行(今のみずほコーポレート銀行)副頭取に迎えられて同銀行の近代化を推進しました。昭和5年には、日本興業銀行総裁、同12年には日本商工会議所会頭として中小企業の振興に尽力しました。
 昭和12年、大蔵大臣に就任。山形県出身者では2人目の大臣で、赤湯に帰ったときにはたいへんな歓迎を受けました。その後間もなく大臣をやめ、第15代日本銀行総裁となり、困難な日本経済のかじ取り役を果たしました。
 豊太郎は要職にあっても故郷を忘れることはありませんでした。当時の赤湯は有名な温泉地でしたが、水不足の土地で飲み水や防火用水に苦労していました。水が欲しい、というのが人々の強い願いでした。これを聞いた豊太郎は、自分のお金で東京から水道工事の専門家を赤湯に呼んで調査させ、工事費の一部も寄付してりっぱな赤湯水道をつくらせました。
 豊太郎はこのほかにも、母校赤湯小学校にピアノやグランドを広げる費用なども寄付しました。
 また町の将来・日本の将来を考えると「心の糧」も大事と「臨雲文庫」という図書館をつくり町に寄付しました。この図書館の門は、もと薩摩藩江戸屋敷のもので、坂本龍馬や西郷隆盛など幕末の志士たちがくぐった門を町の青少年たちにくぐらせたら、きっと無言の教育になると豊太郎は考えたのです。
 昭和26年、豊太郎は日本のため、故郷のために尽くした75年の生涯を終えました。町の人々は彼の銅像をたて、南陽市は「結城豊太郎記念館」を建てて彼の功績をたたえています。

文:南陽市史編集資料執筆担当 須崎寛二


結城 豊太郎 (ゆうき とよたろう)

出身地:南陽市赤湯
生没年:1877-1951(享年74歳)
出身校:東京帝国大学(現・東京大学)
経歴:安田銀行副頭取(現・みずほ銀行)
日本興業銀行総裁(現・みずほコーポレート銀行)
商工組合中央金庫初代理事長
日本銀行総裁



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